【2018.8.21投稿】 イラン ギャッベの旅 3日目③ ザ・カシュガイ

ムハンマドと落ち合った私は、同行していた彼の友人バヒールのお宅に招待された。

そこではバヒールの奥さんと赤ん坊のミランが出迎えてくれた。
到着して早々、「トルコ語は話せるのか?」と聞かれたので、「挨拶くらいなら・・」と答えると、早速ムハンマドのトルコ語講座が始まった。
・サゴール=ありがとう
・アサン=こんにちは
・アファンデム=友よ!
・サゴール ゴルザル=よい見た目、とにかく賞賛を意味する
 
・・・・
(取り敢えず全てメモする)
と、次から次にトルコ語の発音を促され、
次はカシュガイ族の伝統的な歌をリピートアフタームハンマドで歌うことに。
「ブーダン・ギーダル・タブリーザー♪
 ライライラーイ♪×3回
 
 カンノーテ・リザーリザー♪
 ライライラーイ♪×3回
 
 ホーダン・ビリーヨル・ヴぇルビーザー
 ライライラーイ♪×3回
 
 ヴィズゲーターク・ユルキャムザ
 ライライラーイ♪×3回」
これを約十数回歌う。
次はカシュガイの伝統的な衣装と帽子を被り、記念撮影。

その後は、玄関先のスペースに絨毯を敷き、夕食をご馳走になった。

ムハンマドのカシュガイ友人が続々と集まる。
カシュガイ”族”と聞いてシラーズに訪れるまでは、ムハンマドの様に皆シンボル的な髭をはやしていたりするのか?などとと考えていたが、集ったのは普通の若者たち。(どこの国の若者もそうだが、暇さえあればスマホ触っている)
ムハンマドが繰り返し、耳にたこが出来るほど行っていたのは、
「イラン=ペルシャではないのよ。
イランの中にもトルコ語を話し、トルコの慣習に従い生きている者が多いの。
カシュガイもそのうちのひとつなの。」
 
これは、私にとって重大な問題である。
これまでペルシャドリーム2020と銘打ってブログやら何やら展開してきたが、
“ギャッベ=カシュガイ=ペルシャではなくトルコ”
の場合、ペルシャドリーム2020では、ちとおかしなことになる。
 
いや、だがメインはギャッベではあるが、
ペルシャ文字や歴史的王朝の残してきた遺産、詩など、純粋にペルシャと言って差し支えない部分も含め私は愛しているので、この名前は変えないでおこう。
 
し、しかし‼
 
ザ・カシュガイ・メンから
「Instagramのアカウント名をペルシャドリームからカシュガイドリームに替えて欲しい!!」と懇願され、余りに熱烈で断るに断れない状況だった為、Instagramのアカウントのみ、カシュガイ・ドリーム2020に変更した。
 
すると
「サゴール ゴザゴル!!!(あんた、男だねぇ!)」
と賞賛の嵐。
まぁ、これだけ喜んでくれたのだから、Instagramだけなら良いか😅
カシュガイが、独自のコミュニティー、トルコ文化を非常に尊重していることを思い知らされた、ムハンマドとの初日だった。